映画「火垂るの墓」で、節子はわずか4歳で亡くなっていますよね。一体、何の病気だったのでしょうか?
また節子がいなくなった後、清太はどうなったのでしょうか?生きてるのか心配ですよね。
そこで今回は、映画「火垂るの墓」の中でも疑問の多いシーンについて考察しました。
清太(せいた)の最後は?結局どうなったの?
清太の最後は○○だった
清太の最後については、映画のエンディングではなくオープニングに描かれています。
清田は兵庫県神戸市の三宅駅で力尽き、そのまま餓死したようです。
倒れている清太を見て”おにぎり”を恵んでくれた人もいましたが、清太はおにぎりに手を付けていません。
つまり、その時はすでに動くことすら出来なかったのでしょう。
死後、2人はどうなった?
そして、清太と節子が亡くなった”その後”ですが・・・
エンディングやオープニングの描写を見る限り、私は2人は幽霊になって山の中で暮らしているのだと思いました。
むしろ、幽霊でないとストーリーが矛盾します。
『火垂るの墓』のエンディングでは都会のビルが登場し、それを山の中から眺める清太と節子の姿が描かれています。
でも、清太と節子が生きていたのは戦時中ですよね?
戦争中にビルなんて存在するはずありません。そもそも、清太と節子はすでに死んでいます。
ということは、2人は成仏せずに幽霊となったのでしょう。
幽霊だとすれば、一連のストーリーに説明がつきます。逆に幽霊説を否定してしまうと、映画のラストシーンで登場する都会のビルの意味がわかりません。
ビルについては当サイトの記事『【火垂るの墓】ラストで登場したビルの意味は?』で考察しているので、こちらも読んでいただけると嬉しいです。
なぜ駅にいたのか?
清太(せいた)は駅で息を引き取りましたが、そもそもなぜ駅にいたのでしょうか?
作中では理由が解説されていないので、次はこの点について考えてみました。
あくまで私の予想ですが、清太(せいた)が駅にいたのは雨風を防げる場所を探した結果だと思います。
駅内であれば、ひとまず雨風は当たりませんし誰でも無料で入れます。
むしろ、清太に限らず戦争孤児はほとんどがあの駅に集まっていたのではないでしょうか?
映画のオープニングで、駅の清掃員が清太の死体を片付けるシーンがありますが、その時にも駅内には倒れた子供がたくさんいました。
そして、清掃員さんも「またか」というセリフを言っていたので、駅で子供が無くなるのは日常的な光景だったのかもしれませんね。
節子は何の病気だった?
妹の節子が亡くなった理由については、貧困による栄養不足という説が一般的です。
節子が病院に行くシーンでは、医者が「滋養のあるものを~」と言っていました。
このセリフから、節子は栄養失調だったと考えるのが妥当でしょう。
しかし、ネット上を調べたところ別の意見もありました。
節子が倒れたのは栄養不足ではなく病気のせいという説があるのです。
では、いつ節子は病気になったのでしょうか?
映画の冒頭をよーく見ると、空襲のシーンで節子の目には異物が入っています。
そして、その後に目の痛みを訴えていますよね。このシーンの異物が原因で病気になったという意見もあるのです。
- 空襲の時、体内に”異物”が入る
- 異物が原因で病気になる
- 病気になった結果、栄養不足になる
個人的には「節子病気説」が正解であってほしいと思っています。
節子は病気で、死ぬのは避けられなかった。清太が頑張ってもどうにもならなかった。
そう考えないと、清太があまりに可哀そうです。
暗い話になってしまいましたが、今回の考察はここまでです。読んでいただいてありがとうございました。