「火垂るの墓」の最後のシーンでは、節子と清太が山の中からビルを眺める描写がありますよね。
あのシーンには、どんな意味が込められているのでしょうか?
今回は、映画のストーリー感想を交えつつ、私の考察をまとめてみました。
火垂るの墓のラストはどんな内容?
まずは、映画「火垂るの墓」のラストシーンの内容をおさらいしていきましょう。
「知ってるよ!」という人は、3章の『夜景とビルの意味は?』まで読み飛ばしちゃってOKです。
これが「火垂るの墓」のラストシーンです。謎めいた描写がいろいろありますね!
時系列で並べると
次に、「火垂るの墓」のストーリーを時系列で並べました。
- 節子が亡くなる
- 清太が駅で倒れる(オープニング)
- 幽霊になった節子と清太が、山の中から都会のビルを眺める(ラストシーン)
見てのとおり、時系列がバラバラです。
映画を最後まで見て、ようやくオープニングの意味が理解できるタイプの構成ですね。
「火垂るの墓」はずっと昔に作られた作品ですが、このプロットは本当によく出来ていると思います。
監督の才能が素晴らしい!
テレビ版は最後のシーンがカットされた?
「火垂るの墓」のラストシーンでは、清太がビルを眺めている様子からエンドロールが流れます。
しかし、テレビで放送される場合は、度々このシーンがカットされているそうです(私はカット無しのバージョンしか知らないのですが)
映画を放送時間内に終わらせるために、テレビ局が意図的にカットしたのかもしれませんね。
早い話が尺の都合です。
ラストに出てきた夜景とビルの意味は?
映画の最後のシーンでは、なぜか都会のビルが登場します。
このシーンを見て「なぜ戦後の話なのに、突然ビルが出てくるの?」と、疑問に思った人も多いようですね。
という訳で、ここではビルと夜景の意味について私の意見をまとめてみました。
清太と節子は幽霊になった?
清太が生きていた時代に、ビルなんて存在するワケがありません。だって、「火垂る墓」は戦後が舞台の映画ですから。
という事は、幽霊になった節子と清太が、現代もどこかの山の中で暮らしているという意味なのでしょう。
【追記】
金曜ロードショーで「火垂るの墓」が再放送されたときに、公式さんが興味深いツイートをしていました!
生きていた頃の自分を見つめる清太と節子の“幽霊”が登場するシーンは、特殊な赤色が使われています。色彩設計を担当した保田道世氏は、高畑監督から阿修羅の写真集を見せられて、「阿修羅のごとくにして欲しい。内面から発光するような感じがほしい」と言われました。
引用元:金曜ロードSHOW! 公式ツイート
このシーンは個人的に好きでした。映画スタッフのこだわりが垣間見えます。
ビルが登場する意味
生前の清太は、社会と反発しながら生きていました。
つまり、清太は「社会に反対しながら生きる存在の象徴」で、最後に出てきたビルは「社会の象徴」ですね。
だからこそ、ラストシーンでも清太は街の中に入らず、山の中からビルを眺めていたのでしょう。
ただし、そう考えると清太がすごく可哀想ですが・・・
清太たちは社会生活を拒絶して、兄弟2人きりで生きていくと決めたものの、結局2人とも幼くして亡くなっています。
一方で、拒絶した「社会」の方はどんどん発展して、その中で生きる人たちも裕福になっていきました。
【清太と節子】
社会を拒絶した結果、食べ物すら手に入らない生活を送る。
【社会に溶け込んだ人たち】
裕福な暮らしを送っている。
幽霊になった清太は、この様子をずっと見ていたワケですよね?
この差を目の当たりにするのは、かなり辛いはずです。
だからこそ、最後のシーンでビルを眺める清太はどこか悲しそうな目をしていたのだと思います。
現代で例えるなら、自分から進んで退職した会社が、数年後にはトップレベルの企業に成長したみたいな感じでしょうか?
参考書籍:スタジオジブリ大解剖 (サンエイムック)
2人は地縛霊になったのかも?
清太と節子は幽霊として現世に留まっている。それは裏を返せば「成仏できない」という意味かもしれません。
一般的な漫画やアニメでは「幽霊=この世に未練がある存在」という設定が多いです。
具体的には、やり残したことがあったり、誰かを恨んでいて気持ちが晴れなかったりすると、幽霊になって成仏できないワケですね。
逆に、未練がない人や悔いのない一生を過ごした人は、幽霊にならずさっさと成仏します。
でも、節子と清太は幽霊として生き続けているんですよ。
という事は。
清太がやりきれない気持ちを未だに抱えているため、成仏できないのかもしれません。
節子は幽霊になっても無邪気に笑っているだけだったので、恨みがあるワケではなく、自分が死んだことすら自覚していないのでしょう。
流石に、節子は「社会が憎いです」なんて言わないと思うので。
蛇足:他の人の意見も紹介
最後のシーンで出てきた”ビル”については、「清太と節子が平和になった日本を眺めている」という見解もあるようです。
ただ、その場合は微笑みながらビルを眺めるはずです。
でも、清太は真顔(というか、若干うつろな目)でビルを眺めていました。という事は、あまりポジティブな感情は持っていないのだと思います。
①節子の火葬
節子が亡くなった後。
兄の清太は山の中で節子の遺体を燃やします。その骨をドロップ缶の中に入れて、翌朝に山を下りました。
このシーンで、清太は「そのまま郷へと戻らなかった」と言っていたので、節子の骨と一緒にどこかを彷徨っていたのでしょう。
②清太と節子が再開
場面は切り替わり、山の中でベンチに座る清太と節子の姿が画面に映し出されます。
なぜか、死んだはずの節子が清太と一緒にいます。
③突然ビルが登場
ベンチに座った清太は、微笑みながら「もう遅いから休み」と節子に語り掛けます。そして、節子は眠りにつくのですが・・・清太は真顔で正面を向きます。
彼の視線の先にあったのは、大都会のビル。
ベンチに座った兄弟の背中と、光り輝くビルが書かれたシーンが描かれ、エンドロールが流れます。