『ノートルダムの鐘』解説|ディズニー映画版で伝えたいこととは?人間を描いた愛の物語

読書

『ノートルダムの鐘』といえば、ディズニーの中でも大人向けなイメージが強い映画でしょう。ストーリーもさることながら人間関係も複雑なので、いろいろと考えさせられます。

そこで本記事では、映画『ノートルダムの鐘』で伝えたいことは何か?という点について考察しました。

結論から言うと、相手が心ある人間かどうか判断するには外見ではなく中身を見ましょうね!という話です。差別や偏見なんて争いを生むだけですから。

解説|ディズニー映画版『ノートルダムの鐘』が伝えたいこと

はじめに|映画を読み解くにあたって

最初に言っておくと『ノートルダムの鐘』には様々なメッセージが込められています。

ディズニー映画のストーリーは理解しやすいものが多い中、本作については一言で「こういう作品だ」とは言い表せません。

愛と希望の物語であることは確かですが、それが全てではなく映画のいたるところに難しい問いかけが込められているのです。

そのことを踏まえたうえで、管理人なりに『ノートルダムの鐘』の製作者たちが最も伝えたいことは何なのか。その答えを出してみました。

解説|『ノートルダムの鐘』が伝えたいこと

人を人たらしめるのは心の在り方です。心が美しければ人間であり、醜ければモンスターでしかありません。

そして心の美しさには外見も人種も地位も関係ないので、偏見を捨てて寄り添うことで初めて相手の本質が分かります。

これが映画『ノートルダムの鐘が伝えたいことでしょう。

スポンサードリンク

メインキャラの設定を読み解く

心の美しさには外見も人種も地位も関係ありません。この点については、メインキャラの性格や生い立ちを掘り下げていくと理解しやすいと思います。

まず主人公のカジモド。彼は怪物のような外見でありなら、心が美しい人間です。

そして次にヒロインのエスメラルダ。彼女はジプシーとして『社会的な悪』のレッテルを貼られるも、心から弱者の救済を願っていました。外見だけでなく心も美しい女性だと言えます。

しかし本作の悪役であるフロローは、判事という立派な職につきながらも心に悪を宿していました。

この世の悪を消し去りたいという願いは立派ですが、彼は残酷なまでにジプシーを迫害して、当時赤ん坊だったカジモドさえも葬ろうとしました。これは心ある人間のすることではありませんよね?

このように、相手の人間性は客観的な情報だけでは判断できないのです。

関連:ノートルダムの鐘・フロロー考察|美女に許されぬ恋をした男

映画のラストシーンから本作の意味を読み解く

ラストシーンに込められた意味

動画

映画『ノートルダムの鐘』では、差別することの残酷さや愚かさが描かれています。

人間が本当に見るべきなのは、外見ではなく相手の本質。触れ合ったり会話をしたりして、相手を正しく知る必要があるのです。

なお映画のラストシーンでは、名前のない少女がこれを実践していました。少女は恐る恐るカジモドに触れつつ、最後には同じ人間なのだと分かりカジモドを抱き締めています。

つまり偏見のない純粋な子供だからこそ、カジモドの本質を見抜けたのです。

ここまでのおさらい
  • 『ノートルダムの鐘』のキャラクターは、客観的な情報だけでは中身が判断できない
  • つまり相手の本質は、外見やレッテルでは判断できない
  • 誰がモンスターで誰が心ある人間か判断するには、相手と会話し触れあう必要がある

そもそも映画の最後で、語り部であるクロパンは「これでわかったね。誰が怪物で、誰が心ある人間か」と言っていました。

この一言に『ノートルダムの鐘』で伝えたいことが集約されているのではないでしょうか。

スポンサードリンク

補足|スコット氏のインタビューについて

『ノートルダムの鐘』のミュージカル版の話になりますが、演出を手掛けたスコット・シュワルツ氏はインタビューで重要なことを語っていました。

ミュージカル版と映画版では設定が違うものの、本作品を読み解くうえで非常に参考になったのでインタビューの一部を紹介します。

スコット氏:『ノートルダムの鐘』は、愛の物語であり、“すべての人間の物語”。「愛とは? 人間とは? 醜さとは?」といった無数の問いに、観客は自分の答えを見つけ出さなくてはなりません。舞台から提示されるその問いを、自由な想像力と感情で満たして欲しいと願っています。

引用元:スコット・シュワルツ氏 インタビュー

関連:【ノートルダムの鐘】エスメラルダの年齢・性格・人種について

エスメラルダはすぐに相手の本質を見抜いた

偏見を捨てることの難しさ

ハート

ここまで「相手を見た目だけで判断しないでね!」という内容を書いてきましたが、それを実践するのは非常に難しいことだと個人的には思っています。

なにせあの優しいエスメラルダですら、フィーバスと大聖堂で会ったときは肩書で彼を差別していましたから。

彼女にとって騎士は、弱者を虐げて本当の悪から目を背ける存在。だからフィーバスのことも、最初はそういう性格だと思って口汚く罵っていました。

けれどその後、フィーバスは権力者であるフロローに逆らって弱者を守りました。本当に良い人ですね。

だからこそ彼女はフィーバスを好きになったのでしょう。

スポンサードリンク

まとめ|誰がモンスターで、誰が心ある人間なのか?

この記事のおさらい

『ノートルダムの鐘』に込められた意味

『ノートルダムの鐘』の制作陣が伝えたいのは「誰が人間で誰がモンスターなのか」という事でしょう。

外見もレッテルも人種も、その人の一面でしかありません。他者を愛し思いやれる人こそ、本当の人間なのです。

ただしメッセージは1つではない

『ノートルダムの鐘』は大人向けの作品であり、そこに込められたメッセージを一言で表すのは正直難しいです。

愛と希望に満ちた物語ですが、ほかのディズニー映画とは違い完全なハッピーエンドではありません。ご都合主義を排除するという異質な面を持った作品だと言えます。

⇒『ディズニー映画の考察まとめ』はこちら

あなたへのオススメ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA